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Team Profile

Ricoh Japan Hiroshima Baseball Team

広島市を中心に活動している軟式野球チームです。2004年から広島市軟式野球連盟に所属しており、2009年にBクラスに昇格しました。さらに2010年、2011年はAクラスを経験し、2012年からは再びBクラスで挑戦を続けています。
私たちは、会社や家族、そして周りの人々に支えられて野球ができることに常に感謝し、人としてお互いが成長できる野球部であること、あり続けることを目指して活動しています。
活動は主に日祝日で、広島市内を中心に練習もしくはオープン戦を行っています。オープン戦はお誘いいただければ、県内どこでも遠征いたしますので、気軽に声をかけていただければと思います。(ただし、お互いに気持ちよく試合のできるマナーの良いチームに限ります)

このサイトに記載されている事項は、『株式会社リコー』および『リコージャパン株式会社』とは一切関係がありません。

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オープン戦のお申し込みなどはコチラからお願いします! → LinkIcon管理者へメールを送る

2013年

激動を予感させる1年が始まる

2012年

新たな歴史を刻む1年がスタート

  • 19試合 12勝7敗(不戦勝:1勝含む)
    • 高松宮賜杯(一部)広島市予選 準優勝

2011年

Aクラス残留を賭けて勝負の年が始まる

  • 20試合 8勝9敗3分
    • マルハンドリームカップ広島県大会 準優勝

Aクラス残留を賭けて崖っぷちの年を迎えたチームは、初戦をノーヒットノーランで負けるなど、昨年同様、なかなか得点をあげることができず、連敗街道を進む。全くいいところないチームに変化の兆しが現れたのは、終盤のマルハンドリームカップ。初戦を順当に勝ち上がると迎えた3回戦では福山Aクラスの強豪を破り、勢いに乗る。決勝では力尽きたものの、久々にチームがまとまった瞬間であった。また、この大会を最後に5年間の茅田体制にピリオドを打ち、梶岡新監督のもと、新しいチーム作りが始まった。

2010年

Aクラスへ昇格し、更なる挑戦へ

  • 21試合 6勝14敗1分(不戦勝:1勝含む)
    • 梶岡選手が通算100盗塁を達成し、Golden Players Club入り

まさかの1年でのAクラス昇格に戸惑いを隠せないままスタートした2010年。まずは、マツダスタジアムという素晴らしい舞台からスタート。そして迎えた初めての公式戦。Aクラスの強豪相手に必死の守りで粘りを見せるも終盤に力尽きる。その後も守備では粘りを見せるものの、なかなか得点を上げることができず、オープン戦でも全く『らしさ』を見せることができず、黒星が続く。マルハンドリームカップで体制の立て直しを狙うも、これまた、あっけなく3回戦敗退。全くいいところなく、Aクラスでの初年度を終えた。

2009年

Bクラスへ昇格し、新たなる挑戦がスタート

  • 25試合 14勝10敗1分
    • 高松宮賜杯(1部)広島市予選 準優勝
      • 永藤投手が3試合連続完封を含む32回連続無失点を記録するなどチームを牽引
      • 前本選手が年間20安打の新記録を樹立

Bクラスでどこまで自分たちがやれるのか・・・。チーム全体が不安を抱きながらのスタートとなった2009年。そんな不安を吹き飛ばすような永藤の快投で幕をあけた。3試合連続完封という快投に引っ張られ見事に高松宮賜杯(1部)広島市予選で決勝進出。まさかの決勝戦辞退という結果にはなってしまったが、やれるという自信につながる大会だった。しかし、その後は勝ちきれない試合が続き、チームとして課題も多く残った1年だった。また、17試合のオープン戦をこなし、他チームとの交流に力を入れた1年でもあった。

2008年

念願のタイトル獲得など躍進

  • 19試合 11勝7敗
    • 広島市選手権Cクラス 優勝
    • 中国五県軟式野球大会広島県決勝大会 ベスト4
    • 中国五県軟式野球大会 出場
      • 梶岡主将が年間32盗塁で5年連続盗塁王を獲得

チームの意識改革として、年間100盗塁を掲げスタート。開幕ゲームでいきなり11盗塁を記録するなど走りまくる。それでも序盤は痛い星を落とすなど勝ちきれなかったが、広島市選手権大会で念願の初優勝を果たす。そして初めての県大会でベスト4、そして中国大会が広島県開催で運良く中国大会も経験することができた。また、中国大会では山口県の優勝チームと互角以上の戦いをし、自信をつける。
チームとして年間100盗塁には届かなかったものの、85盗塁を記録し、何よりもチームの点の取り方に対する意識が少しずつ変化してきた。

2007年

新たなる局面を見いだすべく、第2次体制スタート

  • 18試合 9勝9敗
    • 広島市選手権Cクラス ベスト4
      • 新人の赤木選手がいきなりの首位打者と最多安打を獲得

チームとして久しぶりに新人選手を3名迎え、茅田新監督のもと新体制のスタート。西日本大会、秋季大会でベスト8に入るなど、若い選手の勢いもあり、少しずつチーム状態は上向いてくる。しかし、相変わらず勝ちきれないのが課題。
また、この年からマルハンドリームカップへの参加をはじめ、企業チーム同士の親善大会を開催するなど活動の場を広げていく。

2006年

苦しい戦いが続く

  • 9試合 4勝4敗1分
    • 広島市選手権Cクラス ベスト4

前年の成績が振るわず、年初の高松宮賜杯、西日本大会いずれにも出場できず。広島市選手権ではなんとかベスト4入りするものの、勝てる試合を落とすなど依然として勝ちきれない状態が続く。

2005年

初年度の勢い続かず失速

  • 10試合 3勝6敗1分
    • 高松宮賜杯(2部)広島市予選 ベスト4

年初の高松宮賜杯の広島市予選ではベスト4入りし、初めて国体予選に出場するなど順調だったが、会長杯以降、まさかの1回戦負けが続く。また、9-0から逆転されるという記録的大敗をするなどチームは最悪の状態へ。

2004年

広島市軟式野球連盟に参加

  • 12試合 7勝5敗
    • 秋季大会(Cクラス) 準優勝

真剣勝負を求めて広島市軟式野球連盟に加盟。各大会で優勝チームと互角に渡り合い、手応えを掴む。
さらに、秋季大会では強豪との激戦を突破し、決勝ではダブルヘッダーを戦う体力がなく、完敗するものの見事、準優勝を果たす。

2002年〜2003年

チーム再建時期

2002年秋、出雲ドームでのグループ親善野球大会の開催をきっかけに休部状態にあったチームを再始動させることに。仁井新監督のもと新体制でスタート。2003年は練習試合と親善試合のみの活動。